語学留学 ワーキングホリデー はブリッジ留学センターにおまかせ!体験談です。
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私の留学体験談
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| 1.| | アメリカ 語学留学(Central Washington University) 1993年2月〜93年7月 在籍中の大学で手配 |
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| 2.| | オーストラリア ワーキングホリデーとその帰国後 パース 1998年5月〜99年5月 留学センタ−で手配 |
| ※ビザの申請方法等、現在とは異なっている項目がございます。 | |
| 2. | オーストラリア ワーキングホリデーとその帰国後 |
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98年
1月 |
勤めていた会社を辞めました。 |
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98年
2月 |
再就職をするつもりでしたが、もう1回海外に行きたいと思い 始めます。余談ですが、会社を辞めた理由はワーキングホリデーをするためではなく、純粋に会社を辞めたかったからです。1年を予定していましたが、学校へ1年も通いたくはなかったので、学校に行かずに1年間滞在できる方法を友人に相談したところ、"ワーキングホリデー"を知りました。その時の目的は"とにかく生活してみる"といった漠然としたものでした。 アメリカ留学の経験から隣国のカナダへ行きたかったのですが、カナダは締め切っていたため、オーストラリアに決定しました。 |
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出発まで
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授験参考書で英文法を復習し、テレビや映画でリスニングを勉強しました。 |
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98年
3月 |
ワーキングホリデーに関する本を読んだところ、ある留学センターの情報が載っていたのでそこに相談しに行きました。 日本人の少ない所をリクエストし、アデレードとパースを紹介して頂きましたが、スキューバダイビングをしたかったのでパースに決めました。 ブランクがあったので、語学学校10週間と4週間のホームステイを申し込みました。学校の決め手としてはクラスが7レベルで比較的多かったことです。現地サポートを薦められたので、万が一のことを考え、5万円を支払ってサポートもお願いしました。 海外旅行傷害保険もそこで申し込みましたが、航空券は自分で手配しました。 留学センターという認知がなかったので、何も分からないままそこで申し込みました。手続代行料の存在も知らなかったので、料金の内訳も分かりません。何しろ会社が公共機関ぽい名称だったので、そのような団体があるのかと…ただ、そんなにボッタくられた印象はなかったです。そう思いたいです… |
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98年
4月 |
留学センターにビザの申請書類をチェックしてもらいました。結果、無事にビザが発給されました。 学校の入学許可書やホームステイ情報も届いたので、あとは個人的に出発準備をするだけです。 |
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98年
5月 |
いよいよ出発です。ちなみにこの留学センターでは出発前の最終オリエンテーションはなく、不明な点はこちらから電話をして聞きました。 |
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98年
5月 |
[ 滞在 ] パース到着です。無事に入国も許可され、学校のスタッフが出迎えてくれました。ホームステイ先では男性のDavidが出迎えてくれました。女性のJennyは不在で翌朝挨拶しました。 後日分かったのですが、DavidとJennyは夫婦ではなく、Jennyがこの家の主人でDavidはシェアメイトでした。Jennyは離婚していて、たまに20歳前後の3人の子供が来ていました。Davidは独身でメルボルン出身です。数ヶ月後にはメルボルンへ帰る予定です。 翌日、Jennyの車で通学のために乗降するバス停を教わりました。数日後に分かったのですが、乗るバス停は"降車専用"でした。普段バスを利用しないので仕方ないといえば仕方なのですが、"過去に何人も学生を受入れているのにそれはないだろ!"と思いました。 到着1週間後。生活には慣れてきましたが、Jennyはキレ易い性格のようです。例えば「"Rain"が降ってきた」と言われましたが、オーストラリアでは"ライン"と発音されます。「ライン?」と聞き返すと、「Falling water(落ちる水)よ!」と怒られました。Davidはいい人ですが、なにせこの家の主人はJennyです。Jennyが友人を連れてきても紹介してくれないため、私は部屋に閉じこもっているか、話し相手を求めてパブに行ってました。また、David、Jennyともに忙しいため、食事も一人ですることが多かったです。留学の本には"ホームステイ先で会話を学ぶ"って書いてるのに…お土産の扇子も「持ってる」と言われ、開封すらしてくれませんでした。 ということで、ホームステイ担当者にホームステイの変更を依頼しました。が、「Jennyの家では今まで苦情をもらったことがない。」と言われました。確かに、食事はきちんと出るし、会話ができないのを除いて不満はありません。ただ、会話をするためにホームステイをしているのです。ここで判明したのが、ホストファミリーの義務は"寝床と食事の提供"ということです。もちろん学校によって考え方は違いますが、少なくともこの学校ではそうでした。 4週間で申し込みましたが、とにかく2週間で出たいことを伝えると、「Jennyがホームステイ代をすべて遣ってしまったため、返金できない。」と言われました。また、「男性はよく食べるし、部屋も散らかすので受入れてくれるホームステイ先が少ない。」とも言われました。 [ 勉強 ] [ その他 ] |
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98年
6月 |
[ 滞在 ] 仕方なくJenny宅で4週間を過ごした後、1週間はユースホステルに滞在しながら通学しました。実はバス停で知り合ったタイ人の紹介で新しいホームステイを見つけましたが、直前になって"引っ越す"と言われたために、住む場所がなくなったのです!Jennyの件もあり、しばらくはオーストラリア人を信用できませんでした。 また、現地の留学センターでホームステイの手配の相談をしましたが、手配料が$150(当時のレートで約¥13,500)かかるので断念しました。 ホステルではイギリスからの旅行者と知り合いました。その後、学校ではなく、クラスメイトを通じて新しいホームステイ先に移りました。そこは20年前に中国から移民した老夫婦の家です。ファザーは英語を話せず、マザーは英語を話せるものの、ファザーの世話のために会話をする機会はあまりありませんでしたが、クラスメイトのマレーシア人がいたので、退屈はしませんでした。 [ 勉強 ] [ その他 ] |
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98年
7月 |
[ 滞在 ] ホームステイは問題なく過ごしていたのですが、学校が終わったらフラットシェアをするつもりだったので、新聞等を見て探し始めました。何気なく学校のスタッフに聞いてみたところ、「よかったら代わりに電話してあげようか?」と言ってくれました。自分でやりたかったので丁重に断りましたが、現地サポートの不要性を感じた一幕でした。 [ 勉強 ] [ その他 ] |
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98年
8月 |
[ 滞在 ] フラットシェアがなかなか見つかりません。"・オーストラリア人との同居・1週間あたり$60以下(相場は$80)・交通の便が良い所"を条件に探していたのですが、難しかったです。 1ヶ月後ようやく見つかりました。家は相当古いものの、交通の便が良く、1週間あたり$50(当時のレートで約¥4,500)でした。同居人は40歳代の男性、Nicholasとその11歳の息子、Oscorです。Nicholasは離婚しています。昼間は専門学校(TAFE)に通っており、夜は週3回程、ナイトクラブで働いていました。6歳の娘は母方にいます。ただ、週に2回は息子ないし娘が双方を訪れていました。そして月に1回は家族4人で会っており、私もたまにパーティー等に招待されました。ようやくアパート探しの終了です。 [ 勉強 ] [ その他 ] |
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98年
9月 |
[ 勉強 ] TOEICの参考書をやってみると、問題は解けるのですが、時間がまったく足りません。やはり読むスピードが遅いようです。したがってTOEICの勉強はおいといて、"Japan Times"を読むことに専念しました。まずはスポーツや社会面等、比較的易しい記事から読みました。 [ その他 ] |
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98年
10月 |
[ 勉強 ] 図書館での勉強は相変わらず、"Japan Times"のスポーツや社会面を読んでいます。 [ その他 ] |
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98年
11月 |
[ 勉強 ] "Japan Times"での勉強もスポーツ、社会面を卒業して、政治・経済面を読み始めました。政治・経済の記事では知っている単語よりも知らない単語が多く、読むことすらままなりません。知らない単語を片っ端から書いて覚える日々がしばらく続きます。中には十数回辞書を引いてやっと覚えた単語もありました。 [ その他 ] |
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98年
11月 〜 99年 1月 |
[ 勉強 ] 図書館で"Japan Times"の政治・経済面を読む日々が続きます。 [ 事件 ] [ その他 ] |
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99年
2月 |
[ 勉強 ] 図書館で"Japan Times"の政治・経済面を読む日々が続きます。 [ その他 ] |
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99年
3月 〜 4月 |
[ 勉強 ] ようやく辞書なしで新聞が読めるようになりました。ここまで半年間かかりました。TOEICの参考書を再度やってみると、確実に進歩していることを実感できました。 [ その他 ] |
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99年
5月 |
そろそろ帰国です。それぞれの友人と別れの挨拶をしま した。バイト先で出会ったインドネシア人がシドニーにいるので、帰国前に1週間程シドニーに滞在して帰国しました。今回も目的は達成できたと思っています。英語力の向上も目的の一つに掲げていたので、日本人との交流を極力避けていたのですが、ホームシック防止のためにたまには日本人同士で遊んでいました。当時のワーキングホリデーは25歳まででしたので、私はギリギリでした。そのため、学生ビザの日本人を含め、最年長の部類に入るので幸いにも?日本人の友人が少なかったです。 ただ、目的達成といっても資格を取得したわけではないので、帰国後の就職活動には不安がありました。この1年でパソコンの需要も急速に伸びましたし… |
| 帰国後 | |
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99年
6月 |
早速TOEICを受講しました。結果は710でした。Readingは参考書で勉強していたのでそこそこできたのですが、Listeningはイマイチでした。 |
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99年
6月 〜 7月 |
就職活動開始です。渡航前は語学を活かした仕事に就くつもりはなかったのですが、中途半端に英語力が付いたため、チャレンジすることにしました。 週刊就職情報誌を購入して活動していましたが、外資系や語学を活かせる仕事の特集は1ヶ月に1回しかないため、職安や紹介会社にも通いました。また、家でWordやExcelの勉強もしました。 必要とされる英語力は英検2級以上やTOEIC600以上の会社が多かったので問題ありませんでしたが、即戦力の営業職での募集が多かったため、小売業が前職である私にとっては書類審査すらほとんど通りませんでした。小売業の募集が一つだけあり、最終面接まで行ったものの、副店長候補のため、キャリア2年の私はこれも不採用でした。 ある会社の説明会では「"語学が活かせればどの仕事でもいい"という考えでは困ります。」とおっしゃっていました。そう言われても、やりたくない仕事はあっても、"特にこの仕事がやりたい!"というのもないのが正直な意見でした。 他の会社では「英語力の基準はクリアしていても、求めている英語の質が違う」と個人的に言われました。英会話ができても、英語で営業の仕事をしていた経験はないので、ごもっともだと思いました。 |
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99年
8月 |
帰国して2ヶ月以上が経ち、実家にいたので親の目がそろそろ気になり始めます。かといって妥協はできない質なので、もう少し粘ってみることにしました。 就職活動をして2ヶ月、帰国3ヶ月後、留学カウンセラーの仕事を見つけました。"98年3月"の内容で申し上げた通り、留学センターの存在を知らなかったので、「こんな仕事があるんだな」と思いました。語学というより、留学経験を活かせること、そして立ち上げに関わることができたので、この会社を選びました。2004年1月に前経営者から業務を引き継いで独立し、現在に至っています。 補足ですがこの仕事に就いてから、"多くの留学センターでは余計な費用を請求しているんだな"と思いました。 |
| 何の脈絡もなく綴ってしまいましたが、少しでもお役立て頂ければ幸いです。もちろん上記以外のことも数多く経験してきましたし、他の多くの日本人留学生も見てきました。[ よくある質問 ]もご覧頂いたうえで、さらにご質問がある場合は、お気軽に bridge@dream.big.or.jp までご連絡下さい。 | |
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